仲恭天皇
仲恭天皇とは?
鎌倉時代初期の天皇。順徳天皇の子で、1221年に4歳で即位しましたが、同じ年の承久の乱で祖父の後鳥羽上皇らが鎌倉幕府に敗れたため、約2か月半で退位させられました。明治時代になってから「仲恭天皇」の名が贈られた天皇です。
- 時代:
- 鎌倉時代
- 生没年:
- 1218年~1234年
- 人物:
- 第85代天皇
仲恭天皇をもっと知りたい人へ
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仲恭天皇の生涯とエピソード
どんな人物だったのか
仲恭天皇は、順徳天皇の子として1218年に生まれました。母は九条良経の娘・立子で、名は懐成親王といいました。
祖父は、朝廷の力を取り戻そうとした後鳥羽上皇です。
生涯と転機
1221年、父の順徳天皇は、後鳥羽上皇とともに鎌倉幕府を倒す計画に力を注ぐため、位を退きました。そのため、まだ4歳だった懐成親王が天皇の位につきました。
ただし、即位の儀式(即位礼)や大嘗祭は行われないままでした。
印象的なエピソード
同じ1221年、後鳥羽上皇は執権・北条義時を討つよう命じて兵を挙げました。これが承久の乱です。しかし、北条政子の呼びかけによって御家人たちは団結し、幕府軍は京都へ攻め上って上皇方を破りました。
乱の後、後鳥羽上皇は隠岐へ、順徳上皇は佐渡へ流されました。仲恭天皇も即位から約2か月半で退位させられ、代わって後鳥羽上皇の兄の子にあたる後堀河天皇が即位しました。
その後と最期
退位した後は、母方の九条家のもとで暮らしたとされています。1234年、17歳で亡くなりました。
この人物が今も語り継がれる理由
仲恭天皇は在位が短く、即位の儀式も行われなかったことから、長く「九条廃帝」などと呼ばれ、歴代天皇として扱われない時期がありました。1870年(明治3年)に「仲恭天皇」の名が贈られ、正式に歴代天皇に数えられるようになりました。
承久の乱によって、朝廷と幕府の力関係が大きく変わったことを象徴する天皇といえます。
この人物をもっと知りたい人へ
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