大姫
大姫とは?
源頼朝と北条政子の長女。幼くして木曽義仲の子・源義高と婚約しましたが、義高は頼朝の命で討たれました。その後は病がちとなり、後鳥羽天皇への入内の話も進められましたが、実現しないまま若くして亡くなったとされています。
- 時代:
- 鎌倉時代
- 生没年:
- 生年不詳(1178年頃とする説あり)~1197年
- 人物:
- 源頼朝の長女
大姫をもっと知りたい人へ
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大姫の生涯とエピソード
どんな人物だったのか
大姫は、源頼朝と北条政子の長女です。「大姫」は長女を意味する呼び名で、本名はわかっていません。生まれた年もはっきりしませんが、1178年頃とする説があります。
大姫は、許嫁との悲しい別れを経験した姫として、鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』などに記録が残されています。
生涯と転機
1183年、頼朝と源義仲(木曽義仲)の関係が緊張したとき、義仲は嫡男の源義高(清水冠者)を鎌倉へ送りました。義高は人質の立場でしたが、大姫の婿として迎えられたとされています。このとき大姫は6歳ほど、義高は11歳ほどだったといわれます。
印象的なエピソード
1184年、義仲が討たれると、頼朝は義高も討つことを決めます。『吾妻鏡』によると、これを知った大姫の周りの女房たちが義高をひそかに逃がしましたが、義高は武蔵国で追っ手に討たれました。
大姫は深く悲しみ、水も飲まなくなったと記されています。母の政子は、義高を討った武士の対応に怒り、処罰させたと伝えられています。
その後と最期
大姫はその後も長く病がちだったとされています。頼朝と政子は、大姫を公家の一条高能と結婚させる話を持ちかけましたが、大姫はこれを強く拒んだと伝えられています。
1195年、頼朝は大姫を後鳥羽天皇の后として入内させようと、上洛して朝廷に働きかけました。しかし入内は実現しないまま、大姫は1197年に亡くなったとされています。
この人物が今も語り継がれる理由
大姫の短い生涯は、源平の争いの中で翻弄された一人の少女の物語として、小説やドラマなどで繰り返し描かれてきました。また、頼朝が進めた入内の計画は、鎌倉幕府と朝廷の関係を考えるうえでも注目されています。
この人物をもっと知りたい人へ
大姫を主人公にした本は多くありませんが、母・北条政子の生涯を描いた小説や評伝では、大姫と義高の悲劇が大切な場面として取り上げられています。政子の視点から読むと、頼朝の家族が抱えた悲しみがよりよくわかります。このページの「おすすめ作品」で紹介しています。
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