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春日局

春日局とは?

江戸時代初期の女性で、本名は斎藤福。3代将軍・徳川家光の乳母を務め、家光が将軍になると大奥を取り仕切って、その仕組みづくりに大きな役割を果たしたとされます。1629年に朝廷から「春日局」の名を与えられました。

時代:
江戸時代
生没年:
1579年~1643年
人物:
徳川家光の乳母

春日局の生涯とエピソード

どんな人物だったのか

春日局は、明智光秀の重臣・斎藤利三の娘として生まれました。本名は福(斎藤福)です。父の利三は、1582年の本能寺の変の後、山崎の戦いで敗れて処刑されました。

その後、福は母方の親類のもとで育ち、のちに稲葉正成の妻となりました。春日局は、3代将軍・徳川家光の乳母として、また大奥の基礎を築いた女性として知られています。

生涯と転機

1604年、2代将軍・徳川秀忠の子として竹千代(のちの家光)が生まれると、福はその乳母に選ばれました。夫の正成と別れて江戸城に入ったとされていますが、乳母に選ばれた経緯については、公募に応じたという話など諸説があります。

印象的なエピソード

竹千代の弟・国松(のちの徳川忠長)が両親にかわいがられ、跡継ぎが国松になるのではとうわさされたとき、福が駿府の徳川家康に直接訴え、家康が竹千代を跡継ぎと定めたという話はよく知られています。ただし、これは後の時代の記録に見える話で、どこまで事実かについては議論があります。

1629年、福は上洛して後水尾天皇に拝謁し、このとき朝廷から「春日局」の名を与えられました。官位を持たない武家の女性が天皇に拝謁したことは朝廷側の反発を招き、後水尾天皇が突然譲位した一因になったとする見方もあります。

その後と最期

家光が将軍になると、春日局は大奥の取り締まりを任され、大奥の決まりや組織を整えたとされています。家光の側室選びにも関わったといわれています。

子の稲葉正勝は家光に重く用いられて老中となり、小田原藩主となりました。春日局は1643年に65歳で亡くなりました。病気の際、家光の健康を願って自らは薬を断ったという話も伝えられていますが、これも後世に語られた逸話です。

この人物が今も語り継がれる理由

将軍の乳母から大奥を取り仕切る存在となり、江戸幕府の大奥の基礎を築いた女性として知られています。1989年のNHK大河ドラマ『春日局』でも描かれ、強い意志をもった女性として広く知られるようになりました。

この人物をもっと知りたい人へ

春日局の生涯は、学習漫画でわかりやすくたどることができます。研究者による評伝では、史料から見た実像や、家光や大奥との関わりが詳しく紹介されています。漫画作品は物語としての脚色を含むため、評伝とあわせて読むのがおすすめです。このページの「おすすめ作品」で紹介しています。

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※本欄にはプロモーションを含みます。漫画・小説には創作や独自の解釈が含まれます

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