新島八重のイラスト

新島八重

新島八重とは?

幕末から昭和初期を生きた女性で、旧姓は山本八重。会津藩の砲術師範の家に生まれ、1868年の会津戦争では鶴ヶ城に籠城して銃を手に戦ったとされます。のちに同志社を創立した新島襄と結婚し、日清・日露戦争では看護婦として活動しました。

時代:
幕末・明治時代
生没年:
1845年~1932年
人物:
会津出身の女性・新島襄の妻

新島八重の生涯とエピソード

どんな人物だったのか

新島八重は、会津藩の砲術師範・山本権八の娘として生まれました。旧姓は山本で、山本八重とも呼ばれます。

兄の山本覚馬から洋式の銃の扱いを学んだと伝えられています。

生涯と転機

1868年、戊辰戦争の中で新政府軍が会津に攻め込みました(会津戦争)。八重は鳥羽・伏見の戦いで傷を負って亡くなった弟・三郎の装束を身につけ、銃を手に鶴ヶ城(若松城)に籠城して戦ったとされています。

会津藩は約1か月の籠城の末に降伏しました。

印象的なエピソード

戦後、八重は京都にいた兄の覚馬を頼って京都へ移りました。覚馬は京都府の顧問として、町の近代化に関わっていました。

八重は京都の女紅場(女性のための学校)で教えるかたわら、アメリカで学んで帰国した新島襄と出会い、1876年に結婚しました。夫婦は対等な関係を大切にしたとされ、襄は八重を「ハンサム(生き方が立派)」な人と評したと伝えられています。八重は、襄が開いた同志社英学校の運営も支えました。

その後と最期

1890年に襄が亡くなった後、八重は日本赤十字社の正社員となり、日清戦争・日露戦争では篤志看護婦として傷病兵の看護にあたりました。

晩年は茶道にも打ち込み、1932年に京都で亡くなりました。

この人物が今も語り継がれる理由

戦場で銃を取った女性として、また明治の新しい女性の生き方を示した人物として、「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサム・ウーマン」などと呼ばれています。

2013年のNHK大河ドラマ『八重の桜』で主人公として描かれ、広く知られるようになりましたが、ドラマの描写には創作も含まれています。

この人物をもっと知りたい人へ

八重の生涯は、学習漫画でわかりやすくたどることができます。新書や解説書では、会津戦争から京都での新しい生活、新島襄との結婚生活までが詳しく紹介されています。会津戦争で戦った女性たちに注目した本もあわせて読むと、八重が生きた時代がよくわかります。このページの「おすすめ作品」で紹介しています。

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※本欄にはプロモーションを含みます。漫画・小説には創作や独自の解釈が含まれます

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