北条時行(ほうじょう ときゆき)は、1353年(正平8年/文和2年)5月20日に、鎌倉の龍ノ口(竜ノ口)で処刑されたと伝えられています。鎌倉幕府が滅んだあとも足利氏と戦い続け、中先代の乱と1352年の2度にわたって鎌倉を奪い返した人物です。
漫画『逃げ上手の若君』の主人公として広く知られるようになった時行は、実際にはどのような最期を迎えたのでしょうか。この記事では、辞典類に記されている史実と、説が分かれる点、漫画ならではの描写を分けながら、時行の後半生と最期を解説します。
結論:北条時行の最後は1353年、鎌倉・龍ノ口での処刑と伝えられる
辞典類では、時行の最期は次のように伝えられています。
- 時期:1353年(正平8年/文和2年)5月20日(旧暦)
- 場所:鎌倉の龍ノ口(辞典では「竜ノ口」と表記)
- 最期:足利方に捕らえられ、斬られた
なお、辞典によって記述に違いもあります。日付まで記しているのは一部の辞典で、多くは「1353年5月」としています。また、ブリタニカ国際大百科事典の「中先代の乱」の項目は、1352年に斬られたと記しています。
時行がいつ、どのように捕らえられたのか、詳しい経緯は辞典類には記されていません。生まれた年も分かっていないため、亡くなったときの年齢もはっきりしません。
時行の人物像やおおまかな生涯は、北条時行の人物ページで紹介しています。この記事では、時行が足利氏と戦い続けた後半生と、その最期に焦点を当てます。
中先代の乱:わずか20日ほどの鎌倉奪還
鎌倉幕府の滅亡と信濃への逃避
時行は、鎌倉幕府の第14代執権・北条高時の子です。1333年(元弘3年)5月に鎌倉幕府が滅亡すると、時行は鎌倉を脱出し、信濃国(現在の長野県)の諏訪頼重のもとにかくまわれました。
1335年7月、信濃での挙兵
1335年(建武2年)7月、時行は諏訪頼重らとともに信濃で兵を挙げました。この挙兵は、京都で後醍醐天皇の暗殺を企てた西園寺公宗らの計画と通じていたとされます。
時行の軍は、女影原(埼玉県日高市)、小手指ヶ原(埼玉県所沢市)、府中(東京都府中市)で足利方の軍と戦い、井出沢(東京都町田市)では足利直義の軍を破りました。こうして7月25日、時行は鎌倉を取り戻します。鎌倉から退くにあたり、直義は監禁していた護良親王を殺害しました。
足利尊氏の反撃と「二十日先代」
鎌倉陥落を受けて、足利直義の兄・足利尊氏が東へ下ってきます。時行の軍は敗れ、8月19日には鎌倉を奪い返されました。時行を支えた諏訪頼重は自害し、時行自身は逃れて姿を消します。
時行が鎌倉を支配したのはわずか20日ほどだったことから、この戦いは「二十日先代の乱」とも呼ばれます。「中先代」という名前は、鎌倉時代の北条氏を「先代」、室町幕府の足利氏を「当代」と呼ぶのに対して、その間に一時的に鎌倉を治めた時行を「中先代」と呼んだことに由来します。
中先代の乱と時行を主題にした新書には、次の一冊があります。
中先代の乱のあと:南朝に加わり足利氏と戦い続ける
南朝への帰順と北畠顕家の軍への参加
その後、時行はかつて敵対した後醍醐天皇の南朝に加わります。辞典類によると、時行は朝敵の罪を許す綸旨(天皇の命令書)を得て、奥州から西へ攻め上る北畠顕家の軍に加わりました。南朝に帰順した年は、1337年とする辞典と1338年とする辞典があります。
顕家や新田義興らに従って、鎌倉に攻め入ったとも記されています。同じ動乱の時代に、後醍醐天皇を支えて戦った武将には楠木正成がいます。
このあと1352年まで、時行がどこで何をしていたのかについては、辞典類にほとんど記述がありません。
1352年、ふたたび鎌倉へ
1350年ごろから、足利尊氏と弟の直義が対立し、足利方は大きく揺らぎます(観応の擾乱)。この争いに乗じて、1352年(正平7年/文和元年)閏2月、新田義興・義宗の兄弟が挙兵すると、時行もこれに加わり、ふたたび鎌倉を奪い返しました。
しかし、この占拠も長くは続きませんでした。時行は尊氏に敗れて捕らえられ、翌1353年5月、龍ノ口で最期を迎えたと伝えられています。
『逃げ上手の若君』と史実の違い
『逃げ上手の若君』は、松井優征さんが『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載した漫画で、単行本の第1巻は2021年に発売されました。テレビアニメ化もされています。物語は1333年の鎌倉から始まり、中先代の乱などの史実を土台にしながら、登場人物の能力や性格には漫画ならではの設定が加えられています。
下の表では、公式サイトなどで紹介されている作中の描写と、辞典類に記されている内容を比べています。
| 項目 | 漫画『逃げ上手の若君』の描写 | 辞典類に記されていること |
|---|---|---|
| 時行の「逃げる力」 | 逃げ隠れの能力がずば抜けた少年として描かれる | 特別な能力についての記述はない。中先代の乱で敗れたあと「逃走」し、のちに再び挙兵したことは記されている |
| 諏訪頼重 | 神の力を持ち、未来をおぼろげに見通す人物として描かれる | 幕府滅亡後に時行をかくまい、ともに挙兵した。鎌倉を奪い返されたときに自害した。未来を見る力は物語上の設定 |
| 時行の仲間(逃若党) | 雫・弧次郎・亜也子・風間玄蕃・吹雪などの仲間が時行を支える | 今回確認した辞典類の記述には登場しない |
| 足利尊氏 | 時行から一族と故郷を奪った宿敵として描かれる | 中先代の乱で時行の軍を破り、鎌倉を取り戻した。1352年にも時行らを破った |
| 時行の年齢 | 幼い少年として描かれる | 生まれた年は辞典類に記されておらず、正確な年齢は分からない |
史実の時行について、辞典類から分かることは多くありません。記録の少ない部分を想像力で大きくふくらませているのが、『逃げ上手の若君』の面白さだといえます。漫画で時行を知った方は、史実の流れとあわせて読むと、物語の描き方の違いもより楽しめます。
北条時行にまつわる疑問
北条時行は実在した人物ですか?
北条時行は実在した人物です。鎌倉幕府の第14代執権・北条高時の子で、1335年に中先代の乱を起こしました。
北条時行は何歳で亡くなりましたか?
生まれた年が分かっていないため、正確な年齢は分かりません。亡くなったのは1353年と伝えられています。
『逃げ上手の若君』は史実どおりの話ですか?
中先代の乱などの大きな出来事は史実を土台にしていますが、時行の突出した逃げる才能や、諏訪頼重が未来を見通す力などは物語上の設定です。
もっと知りたい人へ
- 北条時行の人物像やおおまかな生涯は、北条時行の人物ページで紹介しています。
- 同じ時代に南朝方として戦った武将については、楠木正成のページをご覧ください。
- 鎌倉時代のほかの人物は、鎌倉時代の人物一覧から探せます。
- 時行が登場する軍記物語『太平記』の入門書や、尊氏と直義の対立を扱った『観応の擾乱』は、このページの下で紹介しています。
参考文献
本文の根拠とした辞典・公式情報
- 『日本大百科全書(ニッポニカ)』「北条時行」「中先代の乱」(小学館、コトバンク掲載)
- 『改訂新版 世界大百科事典』「北条時行」(平凡社、コトバンク掲載)
- 『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』「北条時行」(講談社、コトバンク掲載)
- 『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』「北条時行」「中先代の乱」(コトバンク掲載)
- 『山川日本史小辞典 改訂新版』「中先代の乱」(山川出版社、コトバンク掲載)
- TVアニメ『逃げ上手の若君』公式サイト「キャラクター」、集英社『逃げ上手の若君』1巻 商品ページ
※ いずれも2026年10月に閲覧。
関連書籍(このページでは内容を引用していません)
- 鈴木由美『中先代の乱 北条時行、鎌倉幕府再興の夢』(中公新書、中央公論新社、2021年)
- 亀田俊和『観応の擾乱』(中公新書、中央公論新社)
- 『太平記』(ビギナーズ・クラシックス 日本の古典、角川ソフィア文庫)