額田王
飛鳥時代を代表する女性歌人。『万葉集』に印象的な歌を残し、大海人皇子と天智天皇という二人の皇族との関係でも知られています。古代の宮廷で生きた女性の姿を、現在に伝える人物の一人です。
- 時代:
- 飛鳥・奈良時代
- 生没年:
- 生没年不詳(7世紀)
- 人物:
- 歌人・皇族に仕えた女性
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額田王エピソード
どんな人物だったのか
額田王(ぬかたのおおきみ)は、飛鳥時代に活躍した女性歌人です。日本最古の歌集『万葉集』に十数首の歌が残され、初期の万葉集を代表する歌人の一人とされています。生まれた年も亡くなった年もわかっておらず、その生涯には謎の多い人物です。
生涯と転機
額田王について、歴史書に記された情報はわずかです。『日本書紀』には、鏡王の娘で、大海人皇子(のちの天武天皇)との間に十市皇女を産んだことが記されています。父の鏡王がどのような人物だったのかは、よくわかっていません。
額田王は、斉明天皇や天智天皇の時代に、宮廷の行事や旅に関わる歌を詠んでいます。天皇に代わって歌を詠む役割を担っていたのではないかという見方もあります。
代表的な歌の一つが、661年に斉明天皇が朝鮮半島へ兵を送るために西へ向かった際、伊予の熟田津(現在の愛媛県)で詠まれた「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」です。月の出と潮の満ちるのを待ち、いよいよ船出するという力強い歌として知られています。ただし、この歌は斉明天皇の歌であるという記録もあり、作者については議論があります。
印象的なエピソード
額田王の名を最もよく知られたものにしているのが、668年に近江の蒲生野で行われた薬草狩りの際の歌です。
額田王は「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」と詠みました。紫草の生える御料地を行き来しながら袖を振るあなたの姿を、番人が見ているではありませんか、という意味です。これに大海人皇子が「紫草のにほへる妹を憎くあらば人妻ゆゑに我恋ひめやも」と返しました。紫草のように美しいあなたを憎く思うなら、人妻と知りながら恋しく思うことがあるでしょうか、という内容です。
額田王は、大海人皇子と別れた後に天智天皇に愛されたと考えられてきました。そのため、このやり取りは天智天皇と大海人皇子の兄弟が一人の女性をめぐって争った「三角関係」の歌として長く語られてきました。
一方で、この歌は宴の席で披露された遊び心のある歌のやり取りだったという見方もあります。当時、額田王はすでに若くはなかったとみられることも、その根拠の一つとされています。また、額田王と天智天皇の関係は『日本書紀』には記されておらず、『万葉集』の歌から推測されているものです。どの解釈が正しいのかは、今も確定していません。
その後と最期
672年の壬申の乱では、大海人皇子と、天智天皇の子・大友皇子が争いました。娘の十市皇女は大友皇子の妃だったため、額田王の家族は戦いの両側に関わることになります。十市皇女は678年に急に亡くなりました。
その後の額田王については、持統天皇の時代に弓削皇子と歌を交わしたことが『万葉集』からわかり、少なくともその頃までは生きていたと考えられています。最期の様子は伝わっていません。
この人物が今も語り継がれる理由
額田王は、限られた記録しか残っていない人物ですが、『万葉集』に収められた歌によって、千三百年以上前の宮廷の雰囲気や人々の心を今に伝えています。蒲生野の歌のやり取りは、さまざまな解釈を生みながら多くの人に親しまれ、小説や漫画の題材にもなっています。