常盤御前

常盤御前

源義朝の側室で、源義経の母として知られる女性。平治の乱で義朝が敗れた後、幼い子どもたちとともに厳しい状況に置かれました。後世の『平治物語』などを通して、子どもを守ろうとした母の姿が語り継がれています。

時代:
平安時代
生没年:
生没年不詳(12世紀)
人物:
源義朝側室・源義経の母

動画で見る常盤御前

常盤御前のおすすめ作品

※本欄にはプロモーションを含みます

常盤御前エピソード

どんな人物だったのか

常盤御前は、源義朝の側室で、源義経の母として知られる女性です。平治の乱で夫の義朝が敗れた後、幼い子どもたちを連れて都を逃れた母として、多くの物語や絵画に描かれてきました。ただし、同時代の史料に残された情報はごくわずかで、よく知られる逸話の多くは後世の軍記物語によるものです。

生涯と転機

常盤御前の生まれた年や家柄は、はっきりとはわかっていません。軍記物語の『平治物語』では、近衛天皇の中宮・九条院に仕える女性で、都で選ばれた千人の美女の中でも一番の美しさだったと語られています。

常盤御前は源氏の棟梁・源義朝の側室となり、今若、乙若、牛若の三人の男の子を産みました。末っ子の牛若が生まれたのは1159年で、この子が後の源義経です。

牛若が生まれたその年の暮れ、平治の乱が起こります。義朝は平清盛と戦って敗れ、東国へ逃れる途中、尾張国で家臣に討たれました。夫を失った常盤御前と幼い三人の子どもたちは、平家に追われる立場になりました。

印象的なエピソード

『平治物語』によると、常盤御前は雪の降る中、まだ乳飲み子だった牛若を胸に抱き、幼い今若と乙若の手を引いて、大和国(現在の奈良県)へ逃れたとされています。この雪の中の逃避行は、後に多くの絵画や浮世絵の題材になりました。

ところが、常盤御前の母が平家に捕らえられてしまいます。物語では、常盤御前は母の命を救うため、子どもたちを連れて自ら清盛のもとへ出向いたと語られています。清盛は常盤御前の美しさに心を動かされ、子どもたちの命を助けたとされています。

その後、常盤御前は清盛との間に娘を産んだとも伝えられています。また、三人の子どもたちは命を助けられる代わりに寺へ預けられることになり、牛若は京都の鞍馬寺に入りました。

ただし、こうした逸話の多くは『平治物語』などの軍記物語や、後に義経の生涯を描いた『義経記』に基づくものです。同時代の記録では確認できない部分が多く、物語として脚色されている可能性があります。清盛との関係についても、史実かどうかは慎重に考える必要があります。

その後と最期

常盤御前は、その後、公家の一条長成と再婚したとされ、長成との間にも子をもうけたと伝えられています。

やがて成長した義経は鞍馬寺を出て奥州平泉へ向かい、兄の頼朝とともに平家を滅ぼしました。しかし、その後頼朝と対立して追われる身となります。鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』には、1186年に義経の母と妹が京都で捕らえられたという記事があり、これが常盤御前の消息を伝える数少ない記録の一つとされています。その後の常盤御前の行方や最期はわかっていません。

この人物が今も語り継がれる理由

常盤御前は、悲劇の英雄として人気の高い源義経の母として、物語の中で大切な役割を担ってきました。雪の中で子どもを守る母の姿は、能や歌舞伎、浮世絵などで繰り返し描かれています。史実としてわかることは少ないものの、伝承と歴史が重なり合う人物として、今も多くの人の関心を集めています。

関連人物

トップへ戻る