真田信繁(真田幸村)
真田信繁とは?
真田昌幸の次男として生まれ、大坂の陣で豊臣方として徳川軍と戦った武将。一般には「真田幸村」の名で広く知られていますが、史料上は「信繁」の名が確認されています。
- 時代:
- 戦国時代
- 生没年:
- 1567年頃~1615年
- 人物:
- 戦国武将
真田信繁をもっと知りたい人へ
※本欄にはプロモーションを含みます
真田信繁の生涯とエピソード
どんな人物だったのか
真田信繁は、信濃の武将・真田昌幸の次男として生まれました。生まれた年には1567年説と1570年説があります。
一般には「真田幸村」の名で知られていますが、本人の手紙などの史料で確認できる名前は「信繁」です。「幸村」の名は、江戸時代の軍記物などを通して広まったと考えられています。
生涯と転機
若いころには上杉氏や豊臣氏のもとで人質として過ごしました。1600年の関ヶ原の戦いでは、父・昌幸とともに西軍につき、兄の信之は東軍につきました。
西軍が敗れた後、信繁は父とともに紀伊の九度山へ流されます。1614年、豊臣秀頼の招きを受けて九度山を抜け出し、大坂城に入りました。
印象的なエピソード
1614年の大坂冬の陣では、大坂城の南側に「真田丸」と呼ばれる出城を築き、攻め寄せた徳川軍に大きな損害を与えたことで知られています。ただし、信繁の活躍を描いた話には、後世の軍記物による脚色も多く含まれています。
その後と最期
1615年の大坂夏の陣では、徳川家康の本陣に迫る激しい攻撃を行ったとされています。その後、戦場で討死しました。
この人物が今も語り継がれる理由
圧倒的な徳川の大軍に最後まで挑んだ英雄という人物像が形づくられ、小説や漫画、ドラマで非常に高い人気があります。
この人物をもっと知りたい人へ
真田一族の歩みを描いた長編小説に、池波正太郎の『真田太平記』があります。作品内には創作や独自の解釈が含まれます。
「真田幸村」という名前の由来を含め、史実の信繁を知りたい方には、研究者による人物伝や大坂の陣の解説書がおすすめです。このページの「おすすめ作品」で紹介しています。
動画で見る真田信繁
大坂の陣は、なぜ豊臣家の滅亡につながったのか
関連人物
真田信繁の関連漫画・小説・書籍
※本欄にはプロモーションを含みます。漫画・小説には創作や独自の解釈が含まれます